2019年11月21日木曜日

「桜を見る会」の本質とマスメディア


安倍晋三首相が主催する「桜を見る会」は、11月8日の参院予算委員会で日本共産党の田村智子参院議員が取り上げて以来、野党の追及チームが結成され、税金の無駄遣い、政治と予算の私物化との批判が沸き上がっていた。
当初、菅官房長官は、「功績、功労があった人を招く、公的行事で意義あるもの」と述べ、ある政府高官は「桜というがもう冬だ。いつの時期の話だ」揶揄していた。
しかし、「桜を見る会」は、安倍首相の後援会への1000人にも上る招待枠や自民党議員への推薦枠など、完全に私物化している実態が、次々に明らかになっている。「私人」と閣議決定した「明恵夫人の推薦枠があった。」に至っては、さらに大きな批判が沸き起こっている。
こうした事態に、政府は、突然「来年の中止」を一方的に発表し、安倍首相は、「中止は、自分が判断した」と弱弱しく胸を張ったが、このことも、私物化だとの批判が上がっている。


こうした急転直下の「来年中止」に対して、テレビキャスターのO氏は、「後ろめたいから、やめちゃうんだって思われても仕方ないと思う」とコメントした。これが、一般的な国民の思いである。
しかし、別の政治ジャーナリストT氏は、「危機管理という点では、非常に優れた内閣だ」とコメントした。
このコメントに表れているように、マスメディアの追及は「及び腰」に見えるのは、私だけであろうか。
以前から、安倍政権のマスコミ対策が言われてきたが、報道を見ると、つくられた「1強」への忖度のみのみっともない姿勢をさらしているように映る。
本来のマスメディア役割を期待するのは無理なんだろうか。
政権に媚びず、政権の”悪”を指摘してただす、骨のあるマスコミは存在していないのだろうか。
はてさて、あなたはどう思いますか。