2018年10月26日金曜日

仕事と作業




「あなたは仕事をしていますか?。それとも、あなたは作業をしていますか?」・・・
最近のいくつかの研修で話題になりました。
この提起を受けて、仕事と作業って何が違うのかについて論議が始まります。

「どう違うんだろう?」
「作業は、仕事の一部分だと思う。」

なるほど、そうだ。

「仕事は大きなもののような気がする。」

これも分かる気がする。

「ここの作業所は、『B型作業所』と呼ばれているけど、利用者の皆さんは『仕事に来る』と言っている。」

フム、フム。日程表のなかの記述は「作業」となっているが、職員と利用者の認識の違いだろうか。

「仕事は、目的・目標があって、それを実現する具体的な課程が『作業』ではないだろうか」

徐々に、正解にたどり着いているような感じもあるなァ。

そうだ、以前の研修で触れた話がある。

そのお話し「お城と石工」。

ある現場で、3人の石工が作業をしていた。

そこへ現場の様子を見に来たお侍が、3人の石工にそれぞれ尋ねた。


お侍「お前は、何をしているのか?」



石工A「見りゃあ分かるだろう。石を積んでいるんだ」


石工B「私は、石垣を造っていますよ」


石工C「私は、お城を造っているんです」と。


あなたは、仕事をしていますか。それとも・・・・


2018年9月28日金曜日

“どアホノミクス”と425兆円超

「どアホノミクスの正体」(佐高信、浜矩子:講談社+α新書)を読んだ。
この本は、経済評論家の佐高信氏と同志社大学大学院ビジネス研究科教授、エコノミストの浜矩子氏の対談として出版されたもの。内容は、安倍政権の政策の分析から、アメリカにおけるトランプ政権の成立とその本質、経済活動や通貨、マルクスの「資本論」と現代、「反格差」「反貧困」、安倍晋三の目論見、アベノミクスとどう対峙するかはなど多岐にわたる対談である。
この本では多くの示唆を受けた。
特に、国内におけるアベノミクスについて「アホノミクスは戦争国家をつくる政策である」と分析し、その具体的な「三本の矢」政策が必ずしも成功していないが、それでも「GDPを600兆円にまで増やす目標」は「国防費を増や」し「軍事化」を狙うもので、そのために、“通貨の番人”である中央銀行・日銀の性格まで捻じ曲げている実態、その結果、日銀の国債保有率は、41.14%にまで膨れ上がり増え続けている。



これは、国の借金を、国が日銀に命じて(のために政府の意に従順な総裁を据え)、お札をどんどん増刷し、国債を引き受けさせ、その結果、金融政策との辻褄が合わなくなっているのに、何が何でもGDP600兆円の目標の達成をと突き進んでいる。
なるほど、自分で勝手にお札を印刷して、それを、政府が勝手に使うという何でもありの仕組なんだ。こんな、まやかしがまかり通っているのか。
そんな思いで、この本を読んでいると、財務省が、2017年度の法人企業統計によると大企業(資本金10億円以上)の内部留保が425兆8000億円超と発表した。しかも、2016年より22兆4000億円も増えている。
アベノミクスでは、トリクルダウン(大企業の富が中小企業、ひいては従業員に滴り落ちる)としてきた。
しかし、大企業は、国の一般会計予算97兆7000億円(平成30年度)の22%を超える内部留保を増やし、4倍以上もため込んでいる一方で、従業員の賃金は、2016年度に比較すると、年間54000円の減額になっている。
従業員には、トリクルダウンどころか、マイナスである。

なるほど、これも”どアホノミクス”がいう、ごまかしの一面か。

この国の仕組は、ますます逆立ちした構造になっている。




2018年3月23日金曜日

“忖度”と“諂う”


“僕”が突然有名になってから1年。
当時は、“僕”の漢字を書くことができなかった人でも、今は、多くの人が“りっしんべんに寸”と知っている。
2017年の流行語大賞にも選ばれた。

“僕”を突然有名にしたあの方は、昨年の7月に“詐欺罪”で逮捕拘留され、230日以上、異例の接見禁止が続いている。
10月には衆議院選挙も行われ、政党の離合集散もあり、与党が大勝した。
“僕”の周りは、少し静かになったかに見えた。

しかし、年が明けて、“僕”の周りは再びざわついてきた。

今度は“決裁文書の改竄”が大きな問題となり、“僕”が再び注目されている。

国会に提出され、論議されてきた国の決済文書が改竄(かいざん)されていたというのだ。
この1年、“忖度”を否定し、「森友学園」への国有地売却の値引きの経過等の「決済文書を廃棄した」と、官僚が、国会で強気の答弁を行っていたのにだ。
さすがにこの官僚は辞任して退職した。

また、「森友に関わったのでは」と言われる、いわゆる「夫人」は、こっそりとfacebookに「いいね」を送っている。
その「夫」は、国会で「夫人は関わりないと言っている」と答弁し続け、もともと利害関係者である「夫人」にも関わらず、無意味な答弁だと分からないはずもないだろうにだ。

“僕”は考えた。
決済文書の改竄(かいざん)は、日本国中に疑問と怒りの声が拡がり国会前も連日、騒然としている。
この決済文書の改竄(かいざん)や国会軽視の姿勢、これは、「権力の顔色を窺って、特定の利益のために行動をとる」ことで「諂う(へつらう)」ということがぴったりする。
本来の“僕”は「人の思いをおしはかる」ということであり、こうしたこととはまったく違う意味だ。

決済文書の改竄(かいざん)によって何が隠され、国会で1年間の論議は何だったのか。真相の究明を期待したい。

2018年1月29日月曜日

2018年 古稀を迎える

2018年となった。私は今年、古稀を迎える。
終戦から3年、昭和23年に生まれ、いつの間にか70歳になる。
古稀は、中国唐代の詩人・杜甫の『曲江詩』の詩句

朝回日日典春衣,每日江頭盡醉歸。
酒債尋常行處有,人生七十古來稀。
穿花蛺蝶深深見,點水蜻蜓款款飛。
傳語風光共流轉,暫時相賞莫相違。

「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来するという。
唐の時代には、70歳で“古来稀”であったのだろうが、私は、いつの間にか70歳を迎える。
最近の私は、杜甫ほど、飲み歩くことも少なくなった。
別の先人、春秋時代の中国の思想家、哲学者、儒家の始祖、孔子(紀元前552年~紀元前479年)の教えをまとめた論語では、
子曰く、
「吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ふ。
七十にして心の欲する所に従
ひて矩を踰えず」
と説いている。
今から、2,500年も前の時代である。
心の欲する所に従いて…とは、「“心の思うままに”ものごとに対応しても、人の道に外れない」と聞いたような記憶がある。
“いつの間にか”70歳の私にとっては、もちろんだが、とてもそんな域にはない。
「天命」も知らず、「惑」いながら、「耳順」でウロウロしながら過ごしている。
さて、今年も同じだろうが、ただ、漫然とした一年とならないように心がけようと思う